久多良木健とSPC700サウンドシンセサイザー

1980年代後半、ソニーの野心的なエンジニアであった久多良木健は、任天堂の16ビット機「スーパーファミコン」向けに画期的な音声コプロセッサを密かに開発した。保守的なソニーの幹部陣はビデオゲームを一時的な玩具とみなして一蹴したが、社長の大賀典雄はその才能を見出し、プロジェクトを庇護した。

こうして生まれたソニー製「SPC700」チップは、スーパーファミコンにライバル機を圧倒する豊かで多チャンネルなオーケストラ音源をもたらした。この技術的マイルストーンに大いに刺激を受けた山内溥と大賀典雄は1988年、社内で「Play Station」と呼ばれる光ディスクCD-ROM拡張機器を共同開発する契約に調印した。

「我々はこのアーキテクチャを単なる周辺機器としてではなく、インタラクティブ・マルチメディアへの架け橋として設計したのだ」――(久多良木健、ソニーR&Dリードエンジニア)

CESでの裏切り:極秘裏に進められたフィリップスとの密約

締結された契約により、ソニーはCDベースの「スーパーディスク」ソフトのパブリッシングとライセンスに対する完全な独占的権利を手に入れた。莫大な利益を生むカートリッジソフトの利権を手放すことを恐れた任天堂の幹部、ハワード・リンカーンと荒川実らは、冷酷な先制攻撃を企てた。

1991年6月、シカゴで開催されたCES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショウ)で、ソニーは誇らしげにハイブリッド型「Play Station」を発表した。しかしそのわずか24時間後、任天堂はオランダの家電大手フィリップスとの提携を発表する緊急記者会見を開き、業界を震撼させ、ソニーとの関係を一方的に断絶したのである。

Sony CXD2500BQコントローラーを搭載したSNES-CDプロトタイプのマザーボード。
Sony CXD2500BQコントローラーを搭載したSNES-CDプロトタイプのマザーボード。

大賀典雄の怒り:単体型プレイステーションの誕生

日本の企業文化において、このような公然たる侮辱は決して許されない暴挙であった。取締役会メンバーがビデオゲーム事業からの即時撤退を要求する中、久多良木は大賀の前に立ち、企業のプライドに直接訴えかけた。

大賀は会議室のテーブルを叩きつけ、任天堂の支配体制を打ち砕くために妥協なき32ビットの単体ゲーム機をソニーが独自に開発すると宣言した。その強い決意こそが、伝説の1994年のプレイステーションを生み出したのである。

「いかなる外部企業も、任天堂に条件を指図したり、我々の主権あるライセンス権限を奪うことは許されない」――(山内溥、任天堂社長)

世紀の大発見:ダイボールド・プロトタイプの修復

契約破棄の後、およそ200台あったプロトタイプはすべて計画的に廃棄処分された。しかし、元ソニー・コンピュータエンタテインメント・アメリカのヘッドであるオラフ・オラフソンが動作品1台だけを手元に残しており、それがのちに企業の清算品オークションに出回ることになった。

メンテナンス作業員のテリー・ダイボールドは、2009年にその廃棄された箱を75ドルで購入した。高名なエンジニアであるベン・ヘックが2017年にCD-ROMドライブ機構を修復し、2020年にはヘリテージ・オークションにて驚愕の36万ドルで落札された。